1.第8回大会中国代表チームは広島高師ではなく旧制広島高校だったのではないか
第8回大会1回戦で慶應BRBと対戦したチームについて、『天皇杯六十五年史』においては「広島高師」と記載されており、現在発行されている大会パンフレット等でも同様に記載されている。しかし、広島県サッカー協会が2010年に発行した『栄光の足跡 広島サッカー85年史』のP8においては、「第8回全日本選手権大会中国予選 広島高8ー2広島高師」「第8回全日本選手権大会 広島高1ー2慶應BRB」と記載されている。また、第8回天皇杯の出場チームが広島高校であったことの傍証として、昭和3年10月28日付東京朝日新聞3面に記載されている「慶應」「廣島」戦の出場メンバー11名と、『若き血潮は燃える インターハイ・サッカー:旧制全国高等学校蹴球大会誌』のP310に記載されている、全国高等学校ア式蹴球大会の昭和4年大会広島高校の登録メンバー11名のうち、9名が一致する(ただし両資料ともに記載は姓のみ)ことが挙げられる。ちなみに、この9名のうちの一人である「手島」はおそらくのちに日本サッカー殿堂入りも果たしている手島志郎であろう。
2.松山大学の出場回数について
松山大学は第99回大会において2回目の出場としてカウントされているが、第31回大会に出場している「松山商大学」は松山大学の改称前の「松山商科大学」であると思われるにもかかわらず、松山大学の出場回数に通算されていない。
3.広島大学の出場回数について
1995年11月6日付中国新聞において、第75回大会時点における広島大学の出場記録は広島文理大時代以来66年ぶり2回目とされている。しかし、66年前に当たる第9回大会では、広島文理大学は初戦の蜂章クラブ戦を棄権しており、試合を行っていない。同様に初戦を棄権し試合を行っていない例としては他に第66回大会の古河電工があるが、この大会については後身であるジェフユナイテッド千葉の出場回数としてカウントされておらず、出場回数のカウント方法に不整合がある。JFAと都道府県協会との間で天皇杯出場回数のカウント方法が統一されていない可能性がある。
4.「蜂章クラブ」「二高クラブ」について
第9回大会では「蜂章クラブ」、第11回大会では「二高クラブ」の出場記録がそれぞれあるが、宮城県サッカー協会が1986年に発行した『サッカー六十年史』P50にはどちらのチームも「二高」として記述されている。「蜂章」は(旧制)第二高等学校の校章であり、この2チームは名称こそ異なるものの同一視してよいものと思われる。戦前の神戸の学生チームは校名から離れた愛称を用いたチーム名を使用していたとする資料(http://www.eonet.ne.jp/~buyo-club/history3.html)もあり、仙台に位置する二高でも同様愛称を用いて大会に参加していたのではないか。
5.「神戸高商」について
第3回大会(1923年度)と第19回大会(1939年度)にそれぞれ「神戸高商」が出場しているが、同一の略称名で記録されているものの設置者の異なる別の学校であることに注意を要する。前者は1902年に設立され1929年に「神戸商業大学」となった官制神戸高等商業学校であり、後者は1929年に設立され1944年に「兵庫県立神戸経済専門学校」となった兵庫県立神戸高等商業学校である。なお、前者については第17回大会で「神戸商大学」として出場記録がある。
6.「大阪クラブ」について
「大阪クラブ」という名のチームの出場記録は複数回あるが、第31回大会以降出場の「大阪クラブ」は『天皇杯六十五年史』P105の記述によると戦後設立されたものであり、戦前に2回出場している「大阪クラブ」とは別個の存在であると考えられる。また、第2回大会出場の「大阪サッカークラブ」と第17回出場の「大阪クラブ」との関連については『天皇杯六十五年史』P65に記載がある。
7.各種通算記録の集計対象について
#天皇杯 大会通算ゴール数⚽️🎰— 天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会 (@jfa_tennouhai) January 1, 2020
決勝で決まったゴール数は2✔️
1回大会からの大会通算ゴール数は「11,031」となりました‼️
⏬試合結果はこちらhttps://t.co/MQwl5a9h3h#国立元日2020🎍 pic.twitter.com/t6cFqf1PdW
以上のツイートや第99回天皇杯大会プログラム「天皇杯データランキング」の記載から推測するに、これらの記載の集計対象はおそらく天皇杯プログラムの過去の戦績に記載されている全試合であり、3位決定戦や第一次戦も集計されているとみられる。断定できないのは私の集計した手元のデータとずれがあるからで、私の集計した大会通算ゴール数は11,033ゴールで2得点分の差異が生じており、それ以外にもサンフレッチェ、ベルマーレの勝利数やセレッソの得点数が1異なっている。単純にこちらの入力ミスである可能性が一番高いと思われるが、集計範囲の推定に誤りがあるのかもしれないし、JFA側の集計ミスの可能性もある。#天皇杯なんでもランキング— 天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会 (@jfa_tennouhai) July 13, 2018
⚽️チーム勝利数編⚽️
出場回数や得点ランキングでもトップだった #サンフレッチェ広島 が、唯一3桁となる128勝を記録し、ここでも1位に✨
その後を #浦和レッズ、#横浜F・マリノス、#セレッソ大阪 が追っています💪#sanfrecce#urawareds#fmarinos#cerezo#天皇杯 pic.twitter.com/jSPVNVokDp
8.「松山MUC」について
第33回出場の松山MUCについて愛媛県サッカー協会が1988年に発行した『愛媛県サッカーのあゆみ』に記載があり、メンバーは基本松山商大の学生選手でそこに松山クラブの選手を4名補強した混成チームであったことが分かる。
以下図書館が利用可能になったら調べたいこと
・第39回出場の「全北海クラブ」 は北海学園大学と関連があるのか、第37回出場の「全北海道」とは関連がないのか
・第34回出場の「全教大」は第37~39回出場の「茗友クラブ」と実質的に同一とみなしてよいか
・第11回出場の「興文中学」と第19回第一次戦敗退の「興文クラブ」の関連の有無
・第13回出場の「静岡高校クラブ」は高校単独チームかOB混合チームか
・第20回地方分散第一回戦敗退の「全広島」と第30回出場の「広島クラブ」の関連の有無
・第30回出場の「紫雲クラブ」と第34回出場の「高松商クラブ」の関連の有無
・天皇杯六十五年史と第99回天皇杯大会プログラムにおいてスコアの記載に相違が確認できた4試合についての別文献の調査
『天皇杯六十五年史』 | 第99回大会プログラム | ||||
第8回 | 決勝 | 早大WMW | 6-1 | 5-1 | 京都帝国大学 |
第41回 | 1回戦 | 関学クラブ | 3-2 | 3-0 | 帝人松山 |
第46回 | 1回戦 | 東洋工業 | 5-0 | 3-0 | 関西学院大学 |
第61回 | 2回戦 | 古河電工 | 11-4 | 11-0 | 同志社大学 |
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